第28回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2012年
第17回入賞作品

優秀賞

「母との約束」 眞鍋 小百合(14歳 学生)

 私には、母と交わした大切な約束があります。私の母は昨年の夏に病気で亡くなりました。四年間という、長い闘病生活を家族全員で支え合って懸明に生きていました。
 母は、気さくでとても明るくて頑張り屋でした。そのせいか、病気が分かったとき、とてもつらかったはずなのに、私には弱音なんて言いませんでした。娘の私にそういう弱い姿は見せたくなかったのもあるのだろうと思います。母が発病したとき、私はまだ小四でした。学校が終わって、母が入院している病室のベットに行き、
「大丈夫?元気?」
と、私が尋ねると、いつも笑顔で、
「大丈夫よ。もう暗くなるから早く帰りね。」
と言っていました。私はそのとき、母が大丈夫だと言っているのだから大したことはないのだろうと本気で思っていました。しかし、病状が悪化して、入退院を繰り返すうちに私も、母の詳しい病名や体の状態などを知っていきました。私はすっかり病弱した母の姿を見ては泣き出しそうになるのを必死で我慢していました。
 それからしばらくたって母は急に退院して私達の家に帰ってきました。退院するというのを聞いたときは、やはり嬉しかったです。でも、帰ってきた母の姿は病院にいるときと変わっておらず、それどころか誰かが体を支えていなければ立っていられないほどになっていました。私は、なんで退院できたのだろうと疑問に思いました。ですが、尋ねることもできないのでそのまま過ごすことにしました。
 私の家は、母と私以外には、おじいちゃんとおばあちゃんしかいないので、ほとんど寝たきりになってしまった母を介護するのは大変でした。特に私は、学校から帰ってきて家事を手伝いながらしていたので、忙しかったです。私が勉強をしていると、母が
「足が痛いからさすって…。なるべく一緒に居って。」
と言っていました。母はめったにこんなことを言わない人だったのですごく篤きました。
 私はこのときに、なんとなく、もう母にはあまり時間が無いのではないか・・・。そう思ってしまいました。絶対に認めたくはありませんでしたが・・・。母が足を痛がるようになってから、私は毎日夜中になるまで、足をさすっていました。夜中になり辺りが静かになると私達はずっと親子話をしていました。私は、「母だから話せる事」がたくさんあり、今考えると、母のほうも私にだから話したこともたくさんあった気がします。二人でも会話は本当に楽しかったです。ところがある日、母は、私にこう言いました。
「あんたは、私みたいになりなさんな。あんたは、強く生きるよ・・・。それが私からのお願いやけんね・・・。」
母がなぜそんなことを言うのかを私は知っていました。だから、余計に、本当につらかった・・・。何と応えたらいいのか分からず、とっさに、
「どうしたん?なんでそんなこというん?」
と涙をこらえながら言うのが精一杯でした。
 それからしばらくして、母は亡くなりました。私は、この時、自ら命を絶とうかな・・・。なんてことを、本気で考えていました。母の存在は、それくらい私にとって、大切だったのです。けれども、母の言葉を思い出してそれは止めました。では、どう生きる事が強く生きることになるか、私はよく分かりません。それ以降、私は週りから心配されるのが嫌で、以前と同じように過ごすようになりました。こうしないと、私自心がどうにかなってしまいそうだからです。これではダメだと思います。だから私は今を精一杯生きようと思います。母が言った約束の意味を探しながら、今は真っ直ぐに生きていきたいです。