第29回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2023年
第28回入賞作品

佳作

ゲンちゃんの背中 松田 正弘(66歳 自営業)

 小学校5年生のクラス替え初日。ちょっと落ち着かない気分のまま入った教室で、カオルと立ち話をしていたゲンちゃんは近づき、声をかけて来てくれた。「4組にいたマッチャンやろ?」。ゲンちゃんは僕らの学年のスターだった。勉強は苦手だったけれど、背が高く、学年一足が速くて運動会のリレーではいつもアンカーだった。僕はそんな彼から初めて声をかけられたことが嬉しくて、「うん…」と答えるのが精一杯だった。
 1967年、高度経済成長の真っ只中。日本中が活気に漲っていた時代だ。
 僕とゲンちゃんはすぐに打ち解けた。ゲンちゃんの横にはいつもカオルがいた。学校を中心にして、ゲンちゃんとカオルが住む部落は東へ2㎞くらい、僕の家は正反対の西へ1㎞くらいのところにあった。ゲンちゃんたちは毎朝、カオルの他に1学年下のマサヒコ、2学年下のイクを含めた4人で登校していた。4人はみんな同じ部落の子供たちだ。授業が終わると僕は毎日毎日これでもかと彼らと一緒に過ごした。ザリガニ釣りやイチジク捕り、川泳ぎやメンコ、ビー玉…。幼稚園時のある朝に突然父を失った僕にとって、彼らとの時間はいつも痺れるような高揚感に満ちていた。楽しくって楽しくって仕方がなかった。語り尽くせない2年間。信じていいものがあり、委ねてもいい人がいると知った2年間。そして、カッコいいということの本質、約束を守るということの本当の意味を知った2年間でもある。
 6年生の家庭訪問。急激な下降線をたどる僕の成績を見かねた担任の先生は、「友達を変えた方がいい」と母に言ったそうだ。けれど母は、「でもあの子らみんな優しくてええ子ばっかりですよ」と反論してくれた。母がそう言ってくれた背景には5年生3学期に起こったこんな出来事がある。
 その日僕たちは放課後にこっそり体育館へ忍び込み、勝手にマットを引っ張りだし遊んでいた。その時に僕は宙返りの着地を失敗し、右の足首を骨折した。ひどく痛がる僕を背負いゲンちゃんは職員室へ駆け込んだ。すごく叱られ、先生の車で病院へ。病院まで付いてきた4人と僕に母が怖い顔で、「骨が折れてたわ。やんちゃするさかいにバチが当たったんや。しばらくは学校休まなあかんわ」
 翌日の朝。「おばちゃーん」「おばちゃーん」…。学校が始まる1時間くらい前に突然玄関から聞こえて来た聞き覚えのある声たち。「おばちゃん、あのな、僕ら今日から毎日マッチャンをおんぶして行くさかい。ゲンちゃんがマッチャンと約束したんやて」。イクが必死で母に説明している。「正弘、ゲンちゃんら4人があんたを学校までおんぶして行く言うて来てくれたで。みんな学校の前を通りすぎて来てくれたんやなあ」。うれしそうに涙ぐんだ母が言う。そういえば昨日ゲンちゃんは僕に、「明日からみんなで行くからな」って言ってた。その時は言葉の意味がわからなかったけれど。僕は跳び起き、ランドセルに教科書を詰め込んでいた。
 この日から僕のギプスがとれるまでの2週間ほど、彼らは毎朝迎えに来てくれた。雨の日も晴れの日も。そしてその毎朝の登校は強烈だった。ゲンちゃんが僕を背負い、カオルが松葉杖を持ち、マサヒコとイクが僕とゲンちゃんのランドセルを持つ。そして学校が近づくと、毎朝校門まで競走をするのだ。
 ゲンちゃんは僕を背負いながら、いつも1着だった。全速力で走るゲンちゃんの背中で僕は笑っていた。いつもの焦げ茶色のベストにつかまり、そこに染み付いたザリガニやイチジクやゲンちゃんの汗が混ざった匂いを嗅ぎながら、怖さと楽しさと嬉しさがない交ぜになった気分で、僕は笑っていた。「絆」と呼ばれるものの実体の中で。
 あの時、ランドセルの中でカタカタと鳴っていた筆箱の音は、今でも僕の鼓膜に貼り付いて離れない。