第29回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2023年
第28回入賞作品

プロミスお客様サービスプラザ賞

ロクの約束 渡辺 勝(63歳 塾講師)

 「娘、結婚するけんね、式に来てもらえん?」
久々に氷川六郎、通称ロクからの電話だった。現在から十八年前の、まだ残暑が抜けない八月の末のことだった。学生時代、何をするにも一緒で「ロク」「ナベ」と呼び合い、まるで兄弟のようだ、と揶揄された親友の依頼にスケジュール確認もせず二つ返事で承諾し、信州は松本空港から福岡県へと飛び立ったのは九月の下旬であった。式の前日、市内の式場になっているホテルの部屋で一息ついているとロクから連絡がきた。「ナベ、俺、早苗に何もしてやれずに嫁に出していいんだろうか」気弱な声を響かせた。「何を言ってるんだ。おまえは立派に育て上げたから、娘さん、すてきな伴侶と新しい家庭、持てるんじゃないか」
 ロクは曲がったことの大嫌いな九州男児なのだが、涙もろく、特に娘の事になると、からきし弱いのだ。
 彼が三年越しの恋を実らせ、私との共通の知り合いだった美香さんと結ばれたのは確か二十一か二の時だった。三年ほど子ができず、やきもきしたようだが、ようやく一粒種の早苗さんに恵まれた。だが、生まれつき右脚が左脚より三センチ程短く、歩き出す年頃になるとやや身体を揺らすという。ロクは将来を心配して電話をかけてきたものだ。
「おまえと美香さんの子だ。そんなこと問題になるかよ。きっと器量も性格も良くて将来は結婚希望者が押し寄せるさ」何度励ましたことか。
 ところが美香夫人は、早苗さんが小学校の時分に不慮の病で亡くなり、以来、ロクは男手一つで娘を守り育て上げたのだ。
 結婚式はホテル内のチャペルで行われた。
輝くように美しい早苗さんが父親の腕に手を取られ少し足を引きずるようにしつつも、しっかりとバージンロードを歩む。ロクは緊張のためか顔が真っ赤だった。花婿から指輪をつけてもらった早苗さんの笑顔の愛らしさと、新郎の、今時珍しいほどの折り目正しく真面目な所作が印象強く瞼に焼き付いた。
 披露宴になった。主賓挨拶、乾杯、新郎新婦のテーブルラウンド、それぞれの友人たちによるパフォーマンスと続き、式場は和やか雰囲気に包まれていた。ロクが私の所に酒を注ぎにきた。「遠い所、ありがとな」「おめでとう、本当に良かったな」と握手した手は温かくて、涙もろい彼の目は濡れているようだった。だが、式の最後にあのようなサプライズが待っていようとは……。
 ライトが落とされ、新婦による親への手紙の披露となった。
「お父さん、今日まで私を守り育ててくれてありがとう。おかげで今日、健さんと新しい門出を迎えられることになりました。お父さんは私が小さかった頃は、仕事で飛び回っていて、日曜もなかなか遊んでもらう時が少なくて少し寂しかったけれど、お母さんと私を大切にしてくれる頼もしい父親でした。でも、そのお母さんが私が小学校三年生の時、膵臓ガンになって、お父さんが、もう意識のないお母さんに『早苗は俺が必ず守るたい。立派に成人させるけんね。約束じゃ』と手を握り何度も、何度も話しかけていたのが……」早苗さんが嗚咽してしまった。ロクも限界だった。大粒の涙を拭いもせず、震えるように娘を見つめていたが、席を立ち上がり、こらえきれぬ表情で娘を抱きあげた。愛おしくて堪らぬように頬を寄せ、そのまま新郎に歩み寄った。「健さん、俺の代わりにこれから早苗を守ってくれますか」新郎は背筋を伸ばし深呼吸を一つすると、まっすぐロクの目を見つめ、ハイッと大きく答え、新婦を抱きとめて静かに着地させた。会場は万雷の拍手が鳴り渡った。いろんな結婚式に出たけれど、あれほど感動した式はなかった。
 現在、健君と早苗さんは二人の子に恵まれ幸せに暮らし、ロクも祖父として孫に逢うのを何より楽しみにしているようだ。