第28回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2009年
第14回入賞作品

佳作

「祖父との約束」 佐々木 翔平(16歳 男性)

 これは、私が何歳の時であっただろうか。おそらく、小学校低学年頃であったと思う。その頃はまだ祖父母と一緒に住んでいた。私はどちらかと言えばおじいちゃん子だったと思う。よく祖父と一緒に遊んでいたのを思い出す。そして祖父も父も医者で祖父は開業医であった。なので、少し医者を軽視していたところがあったと思う。そこそこ勉強すればなれるものだと。
 ある日、私は祖父と診療所の手伝いということで一緒に診察をしたことがある。そして私は、朝から夜まで途絶えることのない患者の列に驚いた。何と一日に百人を越えることが普通だそうだった。絶対にしんどいに決まっているのに、祖父は一切しんどそうな顔をせず、笑って楽しそうに患者と話していた。まだ幼かった私には、何故そんなに笑っていられるのか分からなかった。そこで、祖父に聞いてみることにした。すると祖父は、「人に幸せをあげるのが医者の役目なんだよ。しんどそうな顔をしていたら患者さんを幸せにしてあげられないだろ。」と答えた。私は、その言葉にとても感動した。そして祖父は、「もし自分が病気になった時、笑って楽しく話してくれるお医者さんの方がいいね。」と言った。そして私は祖父と「もし、そんな時は僕が医者になって治してあげる。だから僕が医者になるまで元気でいてね。」という約束をした。
 その約束をしてから四年位たったと思う。私が小学校六年生の時であった。もう約束したことが何か忘れ、呑気に暮らしていたある日の事だった。父は、私に、祖父が肝臓癌であると告げた。全てが真っ暗な闇に包まれていくように感じた。正直言って信じられなかった。確かに少し前頃から軽い認知症になっていたのだが、まだまだ元気であった。つらかったし、くやしかった。なぜなら人の幸せのことしか考えてなかった祖父が大きな病にかかった事がやるせなかったからだ。そして、手術は無事成功した。ところが、認知症はさらにひどくなっていた。
 そして一年がたち、私が中学一年になった時、祖父は私が誰なのかも分からないようになってしまっていた。ある日、祖母にあの日の約束の話を聞いた。私は、そんな大切な約束を忘れていた自分や、自分の事を忘れてしまっていた祖父に苛立っていた自分に腹が立った。私は、たとえ自分の事を忘れていたとしても、祖父にだけは笑っていようと心に誓った。そして、数日後、祖父が「翔平。」と名前を叫んだ。それを聞いて、涙がとまらなかった。笑っていようと心がけていたのに。私は何とか笑って「どうしたの。」と聞いた。すると祖父は「スイミングスクールは今日ないのか。」と聞いてきた。私は、水泳は小学校五年生でやめていた。けれども、「今日は休みだよ。」と答えておくことにした。

 祖父は、「そうか、早く立派な医者になるんだよ。」と言った。私は、涙でぬれた顔をふきながら「前に約束したじゃない。」と言った。祖父は、「そうか。翔平の白衣姿を見てみたいものだな。」と言った。
 私は、「医者になるまで、元気でまっててね。」と言った。ところが、祖父の病態はますます悪化するばかりであった。これは後から聞いた話だが、祖父はどんなに認知症が進んでも決して診療所の事は忘れずに、朝起きると必ず診療所に行こうとしていたそうだ。そして、祖父は息をひきとった。患者に、全てを捧げた誇れる祖父であったと私は思う。約束は果たせなかったが、祖父の思いはまだ、私の心の中で生き続けている。その自分の中の祖父に私は、「立派な、祖父のような医者になる。」という新たな約束をした。私は今、心の中の祖父に見守ってもらいながら、約束を果たすために勉学に励んでいる。