第28回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2009年
第14回入賞作品

佳作

「共に幸せに-」 澤田 明子(20歳 学生)

 2009年10月20日、祖父 桃井 顕二が亡くなった。享年91歳、大往生だった。
 大正6年、日本がまだ民主主義とは程遠い社会であった頃、祖父はこの世に生を受けた。
 それから約1世紀、このめまぐるしく変わっていく世界を、そしてこの国を、祖父はどんな気持ちで見守ってきたのだろう。

 祖父の葬儀が一段落したある日、母が長細い木箱を抱えてリビングにやってきた。
「ねえ、この箱開けてみて。」
そう言って差し出された木箱を受け取った私は、恐る恐るその古くくすんだ木箱の蓋を開けた。すると中には大小さまざまな形の、セピア色の写真が100枚ほど収められていた。
「これ、おじいちゃんが若いころに撮った写真よ。」
母はその何枚かを手に取り目を細めて見入っていた。
写真は祖父が生まれて間もない赤ちゃん姿のものから、私が生まれる前に亡くなった祖父の兄のもの、少年時代の祖父と彼の友人、戦場での写真、そして祖父母の結婚式の写真。生前の、すでに頭が薄くしわだらけの祖父しか知らない私は、その若く凛々しい姿を見て唖然とした。隣で弟が「おじいちゃん、イケメンやん。」と呟いた。

 その木箱の一番底には茶色い封筒が眠っていた。中身は薄茶色の10cm四方の布と一枚の写真だった。
「この写真の人だれ?」
そこには一人の女性が映っていた。20代初めごろの、着物を着て髪を結いあげたとても美しい人だった。
「おばあちゃんやで。美人やろ。」
私の手元を覗き込んで母が言った。
なるほど確かに先ほど結婚式の写真で見た祖母の面影がある。穏やかそうな眼もとに筋の通った鼻、口元には小さな笑みを浮かべている。
「でもこの写真、おばあちゃんの膝から下が黒ずんでるで。しかもだいぶ傷んでるし。」
向いに座る兄が写真をよこせと手を差し出しながら言った。
兄の言うとおり、その祖母の写真は他に比べて痛んでおり、ところどころ破れかけている。
そして祖母の膝から下を隠す黒っぽいシミは写真の4分の1ほどを占めていた。
「なあ、もしかしてこのシミ『血』とちゃう?」
兄がみんなに見えるようにとその写真をテーブルに置いた。
『血』と聞いて私の頭によぎったのは、祖父が生前よく話していた武勇伝の一つである通称「背中を撃たれた事件」である。戦時中、戦場の兵隊たちに食糧を運ぶ役目を担っていた祖父は、その任務中敵の飛行機が撃った弾を背中に浴び瀕死の重傷を負ったのだ。幸運にも生き延びることができたが、その経験は孫の代にまで語り継がれる彼の伝説である。
 祖父は当時のことを話すときは、面白可笑しく話していたが、実際に背中を撃たれた時は相当の血が流れたはずだ。
 家族全員無言でそのシミを眺めた。考えることは皆同じだったのだろう。

 私は思わずその黒いシミを指でなぞってみたくなり、写真に手を伸ばした。すると兄が何かに気づいたように顔をあげた。

「おい、後ろに何か書いてあるで。」
私は兄の言葉に驚き、写真を裏向けた。

-光子さん、共に幸せになりましょう
 インクがかすれ、ところどころはげかかっていたその文字はしかし、力強く、少し癖のある祖父の筆跡だった。
 この写真は、このシミは、そしてこの言葉は、私たちが見てはいけないものだったのだ。
そう思った私はその写真と布を元の封筒に収め母に言った。
「明日、おばあちゃんの家に行こう。」

 明日、おばあちゃんに聞いてみたいと思う。
-ねえ、おばあちゃん。幸せになれた? と。

1946年9月、桃井顕二と浅野光子は晴れわたる秋空のしたで永遠の誓いを交わした。