第28回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2012年
第17回入賞作品

佳作

「父との約束」 宮本 祐子(32歳 主婦)

 あれは私が小学5年生だった。一万円札を拾った。テレビの部屋と父の部屋のちょうど間の襖の仕切りの上であった。4つに折り畳まれて何故だか少し湿っていた。ゆっくり広げて透かしの部分を窓にかざしてみた。福沢諭吉さんが折られた折り目で微笑んでいた。

「ゆうこー。」母が台所から呼んでいる。「朝ごはんできたよ。みんな呼んできてー。」
父は高校教師であり顧問をしているクラブの朝練でもうでかけたようだった。
「はーい」私は大きな声で返事をしてすぐにそれを母に見せようとしたのだが、魔がさすとはこういうことだろうか。ポケットにしまった。
学校の授業も身が入らない。少しの罪悪感と大きな興奮が私を包んでいた。もうすぐクリスマス。サンタさんにはひとつしかお願いできないし、ほんとはもうひとつほしいものあるんやもん。そう思った。これは泥棒ではない。だって身内のやもん。父のポケットか財布から何かの拍子におちたことは明らかだった。ドジだなとお父さんの悔しがる顔を思い浮かべて笑った。なんだか独り占めするのは悪いなあ。
その時点で既に私はこの一万円はすでに父に返す気がなかった。夢は大きく膨れ上がり私の罪悪感を包んで消し去った。ジャスコにはいつも母と行く。ひとりでいけなくもないが妹と弟を面倒みないといけないので連れて行かなければいけなかった。妹も弟も欲しい物があるのを知っていた。一緒にサンタさんに手紙を書いたからだ。三人の欲しい物をあわせても1万で足りる気がした。余った分は返そう。そう決めた。
私たちいっつも良い子にしとるもん。ポケットの中の紙幣を握り締め微笑んだ。

家に帰ると夕飯まで時間があった。「お母さん聡ジャスコいってくる。」「え?今から?」「うん。すぐ帰る」返事を待たずに弟を連れて出た。

「聡君今日はね。ええことあるよ。聡の欲しい物買うたるわい。」弟は4つ離れているので小学1年生。「ええ!!ほんま!?」素直に喜んだ。
残念なのは妹がいなかったことだ。友達と遊びに行っていて連れ出せなかった。ジャスコに着くと私は一万円札をみせびらかした。「ほら!」「すご!これどしたん?」「ひろったん。なんでも好きなんいうたらこうたるよ」私は威張ってそう言った。
一万円の効果は絶大だった。弟は嬉嬉とした表情で走っていくと大きなおもちゃを運んできた。「これ」買えるのだがそうすると三人分は無理だ。うーーん。私は腕組みをした。
あっという間に時間が過ぎ夕飯に遅れそうになった。「明日また来よ」そういって弟の手を引いて出た。

家に帰ると父がいた。「おかえり。どこいっとったん」「ジャスコ。」私が答える。「姉ちゃんに明日おもちゃ買うてもらうん」弟がいった。「姉ちゃんに?」父の目が不思議そうに私を見る。一瞬の出来事だった。空気が何か観念しなければいけないと私に告げた。「お金ひろたん」「いくら?どこで?」矢継ぎ早にきかれて目が泳ぐ。「一万円。外で。」「外ってどこ?」「家のすぐ外。雨の日に流れてきたん」父は夕飯中とても静かだった。夕飯が終わるとテレビの部屋によばれた。
「祐子。もっかいきかせて。その話。」私は同じ事をいった。「娘が信用できんわけ?」怖くなって強く出た。一瞬の沈黙の後、父がいった。「わかった。お前のいうことを信じよう。でもこれから先お父さんはもしかしたらお前の嘘を見抜けんようになるかもしれん。でもお父さんは約束する。いつでもお前のいうことを信じる。疑って悪かったな。そのかわり約束してくれ。祐子もおとうさんに嘘つかんといてな。」父は一万円を返してくれた。私はどうしようもない罪悪感に苛まれた。父を裏切って悪かったと心から反省した。次の日、私は母にその事を打ち明けた。そして1万円を返した。あれから20年以上の年月が経つ。あの時父と交わした約束はほろ苦い思い出とともに私の中にある。この約束これから先、一生守るつもりでいる。