第24回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2016年
第21回入賞作品

佳作

引き継がれたけんちん汁 岩下 欣弘(55歳 会社員)

 ひょんなことから、30歳を過ぎてフルマラソンを走ろうと決めた。長男の5歳の誕生日の大雪の日に自治会の飲み会があり、最初は嫌々飲んでいたものの、酒好きの私は、飲み始めれば長男の誕生日のことは忘れ、いつの間にか酩酊状態となった。その勢いで、「俺はフルマラソンを走る」と酔った頭が決めた。近所のMさんから、私の生まれた街のマラソン大会に参加したことがあるという話を聞いたことがきっかけになったと思う。
 現在、私は長野県に住んでいるが、生まれた街は関東平野の東、「勝田市」という街だった。勝田市では、年に一回フルマラソンと10キロのロードレースを行う「勝田全国マラソン大会」という大会が開催されており、当時は毎年建国記念の日に行われていた。
 私は、翌日から煙草を断ったものの、それまで特に運動をしていたわけでもなく、急に走れるわけもない。当面は、目標を一年後の「大会」の10キロの部に参加することとし、気が向いた日には近くの公園を走った。また、近くの町で開かれる駅伝大会やロードレースに参加しながら経験を積んだ。
 目標としていた翌年の「大会」では、10キロを42分で走り切ることができ、その翌年には念願のフルマラソンにも挑戦することができた。その後もサブスリーを目指してフルマラソンに何度か挑戦したものの、記録は遠く及ばず、毎年10キロに参加することにした。
 家族や周囲の協力もあり、スケジュールをやりくりしながら「大会」に毎年参加することができた。母は、その度に孫を連れて帰省してくる私を毎年笑顔で迎えてくれ、私が走っている間は、子ども達とともに沿道で旗を振って応援の声を上げてくれた。
 40歳も半ばを過ぎると子どもたちの学校の都合もあり、私ひとりで帰省することが多くなった。楽しみにしていた孫の顔を見せることもできなくなったある年、母が「大会」を走り終えた私に、唐突に「いつまで続ける?」と聞いてきた。「そうだねぇ、連続25回まで頑張ってみるか」と答えた。母は、「そうかい、25回まで頑張るか。それなら、あたしは、お前がマラソン大会に来た時にはけんちん汁を作るよ」と言った。
 母は私が「大会」に参加するために帰省するときには、それまでも必ずけんちん汁を作っておいてくれた。私が仕事の都合で夜遅く実家に着いても、用意してあったけんちん汁を温めて出してくれた。大好物というほどのものでもないが、野菜などの具を細かく切り、手数がかかる汁ものを寒い夜に作って待っていてくれるのは、嬉しかった。いつも熱々の汁にむせながら、柔らかく煮込まれた野菜をあまり噛まずに飲み込んだ。
 私が走り、母がけんちん汁を作る。この約束は守られなくても誰も困らない約束である。でも、二人とも律儀にこの約束を守った。
 今年、私は23回目の「大会」に参加する。母は3年前に他界した。母のけんちん汁はもう味わうことはできなくなったが、母の約束は実家の近くに住む伯母に引き継がれた。生前の母は、伯母に私が「大会」に参加する話をする度に「離れて暮らしている期間が長いので、もう何が好物なのか分からない。あたしはけんちん汁作って待っているだけ」とよく話していたという。母の葬儀の日に伯母にその話を聞かされ、「今度はあたしが作るから」と引き継がれてしまった。私は熱くなった目頭を押さえてうなずくのが精一杯だった。
 伯母のけんちん汁は今年で4回目になるが、伯母は母の姉である。「いつまで続けられるかねぇ」とつぶやくこともあるが、それは私も同じである。年々タイムは遅くなり、最近は完走するのが精一杯である。
 しかし、母から伯母に引き継がれた「約束」が守られている限り、私も約束を果たすまでは走り続けてみたい。