第23回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2018年
第23回入賞作品

優秀賞

できない「約束」 川村 孝幸(59歳 中学校教論)

 熱い想いを伝えれば、その想いが二倍三倍になって返ってくる。教師として最良の喜びを感じていたとき、思いがけぬ告知が、私の幸せな時間を引き裂いた。
 「膵臓癌です。余命は二~三年です。」
 抗癌剤治療と仕事の両立を願う私に、医師は冷たくこう言った。
 「笑顔で、教壇に立てますか?」
 笑顔は、教師である私の最大の武器。それを奪われては、生徒達の前には立てない。
 抗癌剤治療は過酷だった。治療後、まともに歩けぬこともあった。体が悲鳴を上げた。減薬。なんとか日常の生活ができるようになった。
 半年間の病気休暇の終わりが近付いた頃、学校長から連絡が入った。
 「職場に復帰してほしい。」
 延命治療は継続している。以前、
医師に言われたあの言葉がよみがえった。 「笑顔で、教壇に立てますか?」
 私は学校長の申し出を固辞した。
 数日後、学校長が私の家を訪ねてきた。
 「学年の先生方や、あなたが育てた生徒達を信じてみませんか?」
 嗚呼、待っている生徒達がいる。私の心は揺らいだ。生徒達の笑顔が脳裏に浮かぶ。私は復起を決意した。
 生徒達は私を、拍手と笑顔で迎えてくれた。復起一週間は苦痛の日々だった。思うように動かぬ体。足がもつれ、教室で倒れたこともあった。やはり両立は無理か、あきらめに似た気持ちが心に宿った。
 しかし、時が経つにつれて、体は仕事に慣れていった。何よりも生徒達の笑顔が、私の力となり励みとなった。
 教壇に立ちながら、隔週に一度の延命治療。それが私の日常となった。
告知を受けてから一年半余。私は生徒達に自分の病状を告げることを決意した。学年の仲間も、保護者も私の想いを理解してくれた。
 養護教諭と学年の仲間と共に実施した。「命の授業」。その中で私は生徒達に自分の病状を告げた。治すためではなく、延命の治療を受けていることを。絵本「わすれられないおくりもの」を使った道徳の授業と共に。
 授業後、廊下で女子生徒の集団に囲まれた。
 「先生、卒業式には出てくれるんだよね?」私は息を飲んだ。
 「合唱で必ず先生を泣かせてみせるから、出るって約束して!」
 すがるような目で生徒達は訴えてきた。
 「約束はできない…かな。でも、出られるように頑張ってみるよ。」
 生徒達は納得してその場を去った。頑張ることを「約束」ととらえたようだった。自分の心に嘘をついても、「出る」と約束するべきだったか。私の心は揺れた。
 病状を告げた翌日から、生徒達はそれまで以上に私を気遣い、私にたくさんの笑顔を与えてくれるようになった。当たり前の日常が私にとって何よりの幸せだった。
 十一月。抗癌剤の打ち切りが決まった。癌が薬に耐性をもってしまい効かなくなったためだ。後は、自己管理だけで、生き延びなければならない。緩和ケア病練の診察の予約も入った。
 「三カ月は保証できません。」
 医師から告げられた現実。二月で終焉。三月の卒業式には出席できないことになる。
 「先生、卒業式には出てくれるんだよね?」 あのときの生徒の真剣な眼差しが脳裏に浮かんだ。したかったけれど、できなかった「約束」と共に。
 残された時間は自分でも分からない。私は笑顔で教壇に立つ、そんな当たり前のことを今日も繰り返す。明日も教壇に立てる。そう信じて。生徒達は輝くばかりの笑顔を返してくれる。たくさんの幸せが私に降り注ぐ。
 私は心の中で秘かに、生徒達との「約束」を想う。