第23回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2018年
第23回入賞作品

佳作

給料日はすき焼きの日 杉山 茉紘(17歳 高校生)

 毎月22日前後、わが家は決まってすき焼きを食べる。ものごころついてからずっとそうなのでそういうものだと思っていたが「今日すき焼きだから早く帰る」と友達に言うと驚かれる。
 母が言うには「すき焼きの日」は母の小さいころからのならわしの名残らしい。親のお給料日には家族揃ってすき焼きを食べて、ひと月働いてくれた親に感謝し、また今月も家族みんな元気ですき焼きを食べられたことに感謝していたというのだ。なんだか昭和っぽいなあ、と思いつつすき焼きは大好きだしなんだかんだ毎月楽しみなわが家ならではの家族の月例行事であった。
 ふたつ上の姉も私も高校生になると、部活や自分の用事でなかなか予定を合わせるのが難しくなっていたがそれでも「今月はどうする?金曜日でいい?」「金曜は補習で遅くなるから木曜日は?」などと予定を合わせていた。いわゆる思春期で親とあまり話したくなかった時期も、服の貸し借りやしょうもない理由で姉妹ケンカしている時も「すき焼きの日」だけは特例で休戦状態に入りそのままうやむやになるのがパターンだった。どんなにケンカしていたってすき焼きを前に「今月もお疲れ様でした!」と乾杯する約束があることでリセットしていたのかもしれない。
 両親の仕事が忙しくなったこともあっていつもの肉屋に肉を買いに行く役目は私がすることが多くなった。すき焼きにおける牛肉は一番大事である。他の野菜はスーパーで調達してもすき焼きの日のお肉だけは精肉店で少し高いお肉を買うのだ。
 去年の7月のすき焼きの日、私は油断していた。夏休み前の試験が終わってあとは遊ぶだけ!と浮かれていて、朝、親に「お肉お願いね」とお金を渡されていたのも半分ふわふわ聞いていたのだろう。学校帰り、友達と話し込んでいて時間を忘れていた。暗くなるのが遅くなる時期なのもあった。気づくともう精肉店の閉まっている時間だった。
 その日のすき焼きは気の抜けたものになった。主役のお肉は冷凍庫にあったいつかの食べ残しの肉だった。誰もなにも言わなかったのが余計に私をそわそわさせた。そして味気ないすき焼きを食べながら「たかが肉じゃないか」と思いたい気持ちを「されど肉だな」という思いがじんわり覆っていくのを感じた。
 「すき焼きの日」は親に強制された約束ではないし、母も「いつまでみんなで食べられるかなあ」と笑いながら話すくらいのゆるい約束だけど、美味しいものを家族で一緒に食べるということが自分の中で意外に大きなものになっていると初めて気づいた。
 そのあと年末続けて二回、姉がすき焼きの日に急用が入っていなかった。大学生になった姉もいろいろやりくりが難しくなったのだろう。「お姉ちゃんも大変やねえ、毎日」と話しながら美味しいすき焼きを食べた。食べながら私は来年ここですき焼きを食べているだろうか、とふと思った。
 私は今年受験生になる。志望校は実家からは通えない大学だ。今は家から大学に通う姉もいつまで家にいるのだろう。もしかしたら、いやしなくても家族みんなが揃う「すき焼きの日」はもうそんなにないのかもしれない。
 「すき焼きの日」の消滅の可能性に気づいた時、「家族」とは永遠ではなくて形が変わるものだと初めて実感した。だけど不思議と寂しいとかの悲観的な感情はなかった。母が家庭を持ち新しい「すき焼きの日」を築いたように、私もまだ見ぬ新しい家族と新しい「すき焼きの日」を重ねていくような未来が見えたからだ。
 一か月に一度、給料日にちょっと美味しいものを家族で食べる約束、わが家のちょっとした自慢である。