第24回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2019年
第24回入賞作品

佳作

道しるべ 山形 明美(50歳 主婦)

 桜が満開だった。二〇十九年四月、息子が高校に入学した。入学式へ向かう道、真新しい制服を着た息子の後ろ姿を、ただ感謝の想いで見つめた。―お母さん、なんとかここまでやってこれたのは、あの約束があったからだよ。本当にありがとう。
 主人と結婚したのは私が三十才の時。実家とは遠方になったが、結婚生活は順調だった。ただ、なかなか子宝に恵まれなかった。結婚して三年がたった頃、不妊治療を始めた。治療でのむ薬は副作用が強く、日常生活もままならなくなった。人工授精を何度やっても妊娠できず、心も体もボロボロになった。
 「もう止めよう。二人で生きていこう。」主人と話し合ってだした結論だった。でも、出掛ける先で愛らしい赤ちゃんを見かけると、胸がしめつけられた。友人が妊娠しても、笑顔で祝福できなかった。心がまっ黒になって、苦しくてたまらなかった。
 そんな私を心配した母は、毎日のように電話をくれた。お陰で少しずつ気持ちの整理がつき、近くのスーパーでパートに出れるようになった。やっと諦めがついた頃、自然に妊娠した。信じられなかった。夢かと思った。「赤ちゃんができたよ。」すぐ母に電話した。母は一瞬沈黙した後、「良かったね、良かったね。」と涙声でくり返した。その前に母は、私に話しがあると言っていたのに、いくら聞いても、その話しはしてくれなかった。それがずっと気になって何度も電話したが、父ばかりでて母と話せない日が続いた。ごまかし続けた父がやっと口を開いたのは、私が妊娠5ヶ月の時だった。「母さんはずっと入院してる。お前に心配かけたくないから、絶体に言わないでくれって言われてた…。」
 すぐ病院に行った。母は別人になっていた。ふっくらしていた面影はなく、末期の卵巣ガンで、余命半年の宣告を受けていた。母は抗ガン剤の副作用でフラフラなのに、しきりに私の体を心配した。「こんな時にあなたの力になれなくてごめんね。」と、謝ってばかりいた。こんなにも私を想ってくれる母に、涙が止まらなかった。
 母は闘病中にもかかわらず、私の出産に立ち合ってくれた。出産は一日かかった。意識が朦朧とする中、赤ん坊の元気な産声が聞こえた時は本当に嬉しくて胸が一杯になった。母は孫を大事そうに抱っこして、その寝顔をあきず見ていた。その眼差しがあまりに優しくて、今でも忘れられない。母は「有難いね。」とくり返し「この感謝の思いを忘れないでね。この子を大事に育ててね。」と言った。
 息子が一才になる少し前、母は他界した。最後まで私と息子の心配ばかりしていた。私は母に約束した。―この子を大事に育てるからね。お母さんのような母親になるから。
 母との約束は、その後子育ての中で迷った時の「道しるべ」となった。子育ては想像以上に我慢と忍耐の連続だった。もうどうしていいかわからなくなった時、この約束が私を支えてくれた。
 だが息子が中二の春、大変な事が起こった。
 その日息子は、体調が悪かった私に代わって、夕飯のおかずを買いに行っていた。帰りが遅いなと心配になった頃、連絡がきた。
 「息子さんが商店街の交差点で軽トラックにはねられ、救急搬送されました。」目の前がまっ暗になった。買い物を頼んだ自分を責めた。
 拾われた息子の靴はズタズタだった。事故は交差点で左折した軽トラの見遠しの甘さからくるもので、息子は後ろからひかれた形となった。幸い周囲の方達がすぐに救急車を呼んでくれたお陰で大事に至らなかった。
 息子は駆けつけた私を見るとバツが悪そうな顔をした。「コロッケは全部潰れちゃったよ。今晩何食う?。」―お母さん、子育ては大変だよ。心が折れそうな事ばかり起こるよ。でもその度にお母さんとの約束が道しるべになって私を支えてくれたよ。お陰で優しいいい子に育ってくれてる。本当にありがとう。