第24回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2019年
第24回入賞作品

プロミスお客様サービスプラザ賞

子供達の島 佐藤 浩也(56歳 公務員)

 今年の夏も、限界集落で高齢者ばかりの網地島に子供達の笑顔があふれ、明るい声が響き渡った。十四年前から始まった網地島ふるさと楽好の子供達だ。真夏の空は青く澄み、日差しは照りつけていたが、私は、夏の暑さを感じることができなかった。毎年夏に島で、笑顔で迎えてくれた人に、今年も会うことができなかったからだ。島に行けば、いつでも、区長さんに会えるような気がしていた。
 区長さんと初めて会ったのは、今から十七年前。仕事で縁もゆかりもない網地島の地域づくりを命じられ、島の人たちと最初の話し
合いをもった時だった。島の人たちから、
「島がさびれたのは、県や町の責任だ。」
「島だけが、何でも置き去りにされている。」
と容赦なく罵声を浴びせられた。「仕方ない」と思う諦めの気持ちが怒りを増幅させていた。
「どうせ、網地島の担当でなくなったら、網地島とは、関係ないと言うんでしょう。」
となじられた。たまらず、私は、
「みなさんが、地域づくりの成果を感じられるまで、私は、十年でも、島に通い続ける。」
と約束してしまった。失敗したと思った。
 区長さんは、高齢者ばかりが残された島を憂慮していた。しかし、網地白浜に来る観光客が、朝早く起きなければならない島の人達の迷惑を考えずに、夜中まで花火をする姿を見て、ただ単に観光客を増やすことは、島にとって、いいことだけではないと考えていた。そこで、島外の子供達との温かな心の交流を大切にした親子対象の冒険楽校を始めることになった。区長さんの協力を得ながら、頑なな島の人達を説得して、一年後、百二十人の子供達を迎え入れた。島の高齢者が先生になって、網地島だけの魚釣り「あなご抜き」、昔の子供達のように小刀を使った竹鉄砲・竹とんぼづくり、獅子踊り、うにやあわびやひらめを使った島の料理づくりを楽しんでもらった。島の体験を楽しむ子供達の笑顔が、島の高齢者に前向きに取り組む勇気を与えてくれた。
 二年後、区長さんの提案で子供がいない浜に虐待等で辛い思いをした子供達を呼ぼうと、児童養護施設を無料で島に招待する網地島ふるさと楽好も始めることになった。子供達も島の高齢者も、島での温かな交流を楽しんだ。
 二〇一一年三月一一日に、宮城県内だけで一万一千人以上が亡くなった東日本大震災が起きた。網地島を襲った十メートルを超える大津波は、島におびただしいガレキを残した。膨大な量に、誰もが、もう子供達を島に招くことはできないと諦めた。奇跡が起きた。震災後すぐに、かつて島に来てくれた子供達から百通を超える手紙が届いたのだ。区長さん達は、この手紙を見て、来年の夏には子供達を呼ぼうと奮起し、ガレキの片付けを始めた。海を漂う膨大なガレキは、何度も砂浜に打ち上げられた。しかし、区長さん達は、諦めずに、何度もガレキの片付けを行った。
 震災の翌年の夏、砂浜からすべてのガレキが取り除かれた。開校の前日には、区長さん達が、小さなガラスや金属片も丁寧に取り除いた。震災からわずか一年で、子供達が裸足で入っても、ケガをしない安全な砂浜を取り戻した。観光客が一人もいない子供達だけの海。網地島は、「子供達の島」になった。
 数年後、東京での表彰式で、区長さんから、「初めて会った時から、十年以上過ぎた。佐藤さんは、もう十分に約束を果してくれた。」と感謝された。突然の言葉にうれしく思うとともにとめどない不安に駆られた。この関係が長く続いてほしい、年の離れた友であり続けたいと心から願った。しかし、その二日後、区長さんは、突然、この世を去った。亡くなる日の夜に、電話で「明日、相談したいことがあるから」という言葉を残したまま…
 お葬式で、子供達は、区長さんのために、自分達ができることを話し合った。遺影に、「今度、島に行ったら、思いっきり楽しむ。」と語りかけてくれた。私は、これからも、島の思いを応援していく約束をしたと思った。