第28回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2020年
第25回入賞作品

10代の約束賞

五時五十五分 原 穂乃実(18歳 高校生)

 私の母は少し厳しい。他の家に比べるととても厳しいので、たまに逃げ出したくなる。
 例えば、小学生の頃は宿題をやり終えてからじゃないと遊びに行ってはいけなかったし、いくら駄々をこねても欲しいものは買って貰えなかった。好き嫌いもダメ、出されたものは全て食べる。帰ってきたら、きちんと靴をそろえる。世間一般的には普通であるかもしれない母だが、当時まだ小さかった私にとってはとても厳しく、他の家の子が羨ましく感じたのである。父は仕事で忙しかったため、母は父の代りもしなくてはいけなかったのだろう。今考えるとそう思う。そんな母が特に厳しかったのは門限だった。私には二つ上の兄がいて、小学生の頃は夕方の五時五十五分が私たちの門限だった。とても中途半端な時間であるが、五時五十五分を少しでも過ぎると理由がなんであれ、ひどく叱られて閉め出され、決して家へ入れてもらえなかった。一度締め出されてからはきちんと時間を守るようになったが、五時五十五分という数字が少しトラウマになっていた。
 中学生になり、私は部活や塾で遅い時間に帰るようになり、友達と遊びに行っても午後十時くらいに帰るようになった。小学生の頃に比べて母は少し優しくなり、自然に門限は午後十時になっていた。午後十時を過ぎると、閉め出されることはないが、こっぴどく叱られた。だけど小学生の頃の私とは違い、「ちょっと遅れたくらいええやんか。他の子は門限ないのにうるさいなぁ!」と、少し反抗も出来るようになった。しかしその度に母と大喧嘩をした。大喧嘩をしたあと、三日くらいは口を聞かない。母の頑固な性格が似てしまったのか、私からは絶対に話すことは無かった。もちろん母も同じだった。
 毎朝学校へ行く時、母は二階の窓から顔を出し「いってらっしゃい」と手を振る。喧嘩をするとそれもなくなり、少し悲しかった。
 そして私は高校生になった。部活やアルバイトなどでなかなか家にいる時間がなくなっていた。ただ食事や寝るためだけに帰る家、というくらい何かと外へ出ていた。門限もなくなり、遅くに家に帰っても母は怒らない。ただ眠い目をこすり、「おかえり。」と言うだけだった。私の思春期も落ち着き、母との喧嘩もなくなった。
 ついこの間までは、母に叱られることを恐れながら家の扉を開けていたのに、今では何も気にすることなく扉を開けている。そんな自分がどこか寂しく感じた。
 門限という「約束」。家族との大切な「約束」だったはずなのに、いつからか守らなくなり、反抗し、叱られなくなり、自立を感じる。時計を見て「五時五十五分」という数字を見るとあの頃が恋しく思え、あんなに嫌だった門限や母の怒鳴り声もなくなるとこんなにも寂しいんだと実感する。
 「ただいま。」今日は珍しく五時頃に帰宅した。すると母はびっくりしたような顔で、「おかえり。」と言った。もう昔のように怒ることはなく、ただ嬉しそうにご飯の支度をしていた。最近はずっと携帯を片手に一人でご飯を食べていたが、久しぶりに家族と食べるご飯は、泣きそうになるほど美味しかった。