2024年
第29回入賞作品
優秀賞
約束のラリー 大塚 隆弘(36歳 飲食業)
「95㎏」玄関先に運び込まれた段ボールには、まるで威圧するように、そう書かれていた。やってしまった。気持ちが大きくなってしまっていたようだ。我が家に国際規格の卓球台が届いた。背中に冷ややかな妻の視線を感じつつも、意を決して、搬入作業の協力を要請することにした。
こうなったのも、父親たるもの息子たちとの約束は必ず守るという決意のためである。「今度の日曜日に大きな公園に行こう。」と約束すれば、必ず連れて行く。「アイスクリームは、明日の晩ご飯の後に食べよう。」と言えば、忘れないように準備する。どんなに小さな約束も、おざなりにしないと心に決めているのだ。
けれども、息子たちの言うことばかりも聞いていられない。息子たちにも父親との約束を守ってもらう。外から帰ってきたら、必ず手を洗う。三兄弟、譲り合って仲良く遊ぶこと。まだまだ未熟な父親であるとは自覚しながらも、日々の暮らしの中で、三人の息子たちのわがままにはストッパーを掛けているつもりである。
卓球台が届いたのも、約束の結果なのだ。遡ること数カ月前、たまたま家族で訪れたスポーツ体験イベントで、六歳と四歳の兄弟は初めて卓球のラケットを握った。ピンポン玉が跳ねる音が、子供の心を惹きつけたのか。翌日から、百円ショップのラケットを握り、ダイニングテーブルでミニ卓球が始まった。こうなると、学生時代に元卓球部だった父親の私も、その気になってしまう。どんどん気持ちが盛り上がり、地元のトップチームの試合に息子たちと共に繰り出し、大声で声援を送ったりもした。そんな中で、つい軽はずみな約束をしたのである。
「今度、本物の卓球台を買おう。」
言ってしまった。私は、約束を守る父親である。
「本物の卓球台、いつ来るの。」
という息子たちのプレッシャーを受け、気付けばネット通販の注文ボタンを押していた。恐ろしい時代である。家にいながらにして、国際規格の卓球台が買えてしまう。
ほどなくして届いた卓球台を前にして、二階の一室を占領するあまりの迫力に恐れおののいてしまった。何せ息子たちは二歳、四歳、六歳。まだ卓球台の向こうから、やっと顔が出てくる程度なのだ。文字通り、身の丈に合わない買い物であった。
しかし、子供の適応力というのは侮れないもので、四歳の次男は、卓球ラケットをテニスプレイヤーのように振りながら、こちらにピンポン玉を返してくる。六歳の長男に至っては、僅か一カ月も経たないうちに、十回弱のラリーが出来るようになってきた。
こうなってくると、父親の期待は、さらに膨らんでいくばかりである。今度は、親子で卓球の試合に出場するべく、準備を進めている。息子たちだけではなく、父親の私も約二十年ぶりに卓球用具一式を揃えた。
「卓球台を買う。」という父親としての約束は果たした。次は息子たちが、
「卓球選手になる。」
と意気込んでいる。「95㎏」の衝撃に見合う、楽しみな約束である。
さすがに私も、この約束が簡単に達成できるものだとは思っていない。当初から訝しげな妻の視線は、今も背中に感じている。重厚な卓球台の上で、おぼつかなく跳ねるピンポン玉に、今日もラケットを伸ばす。父親と息子たちが繰り広げる約束のラリーは、まだ始まったばかりである。