2024年
第29回入賞作品
佳作
約束の神様 本田 美徳(62歳 病院職員)
大切にしている一枚の写真がある。表彰式の壇上で著名な作家の先生方に囲まれている車椅子姿の男性。その隣にいるのは私だ。
昨春、警察を定年退職した私だが三十八年間の警察人生で犯人と格闘して怪我を負うこと数度。常に傷だらけの日々だった。だがそんな私をかつての部下達は退官した今でも慕ってくれている。それだけが心の勲章だ。
現職時代、私にも多くの尊敬する上司がいた。特に薫陶を受けたのは警察署で警部補だった時の副署長だ。高身長の偉丈夫で警察必須である剣道も強く、薬物事件のプロで捜査指揮能力の高い人情家だった。東日本大震災が発災した時、私はその警察署からたった一人だけ現地に派遣され、出発の日、副署長は自らマイクを握って庁内放送を行った。
「ただ今から本田係長が東日本大震災の現地に出発します。署員は整列して必ず見送るように。繰り返す…」署員が整列する花道の中を私は決意の敬礼をして出発した。その後、警察署長を最後に退官され、民間企業へと転身されたがお互いの近況報告を行うなど交流を続けた。ところが退官一年後、副署長に突然の悲劇が襲う。難病のALS・筋萎縮性側索硬化症と診断されたのだ。ALSは呼吸に必要な筋肉が萎縮して呼吸困難になり、人工呼吸器と車椅子が手放せない。進行性の難病で根治は難しい。その事実を知った時、私は声も出なかった。あの偉丈夫で快活な人が…そして考えた。自分に出来ることはないだろうかと。その頃の私は退官して始めたエッセイや論文を同人誌中心に投稿することに生き甲斐を感じていた。それまでにも自分が書いた文章が誌上掲載されると副署長に郵送して喜ばれていた。だが難病であるために、これ以上、読むことを強いると身体に触るのではと遠慮していたのだ。そんな時に副署長からメールが届いた。「本田係長。実は私も難病の人を勇気づける為に投稿しようと。ご指南をお願いします。」その前向きな姿勢に心を打たれ、すぐに返信した。「了解。任せて下さい。」そして最初に勧めたのはプロの作家が審査員の地方エッセイ賞で毎年、数百作が応募される賞だった。「少しハードルが高いですが私も出します。最初から入賞は狙わず伸び伸びと。」と送信した私に、「出すからには狙いましょう。表彰式もあるんですね。式で会えたら最高です。私は本田係長と会いたいです。会いましょう。約束ですよ。」と意気軒昂な返信が届いた時、「ええ。必ず。」と返したが、胸が詰まった私は一人で号泣してしまった。あの頑健な人情家が…失意の中、明るい冗談のようなメールを返してくれた。僅かでも恩が返せたと思った涙だった。ところがそれは全く予期せぬ凄い約束になったのだ。
二人で応募して数ヶ月後。まず私に届いた通知書に、「貴方の作品は最優秀賞に選出されました。」とあった。応募総数は二百四十三作品。驚きながら慌てて副署長にメールを送ったがその返信は私を更に驚愕させた。「本田係長!私にも通知が!私は第二位の優秀賞ですよ!」呆然とする頭で整理した。二百四十三分の二?凄い確率だ。その一位と二位がかつての上司と部下…次のメールで我に返った。「本田係長。約束を果たせましたよ!」
表彰式の日。車椅子姿でご家族に付き添われ、ヘッドギアと人工呼吸器のバイ・パップを着けた副署長は小さくなられていた。だが握り合った掌はとても温かい。このお互いの掌で紡いだ言葉で約束を果たしたのだ。言葉はいらない。二人とも笑顔の再会だ。表彰式後の懇談会で初めて二人の関係を明かすと審査の先生方も驚かれ、「奇跡のダブル受賞です!鳥肌が立ちました!」と叫ぶ人もいた。
壇上で撮ってもらった記念写真を眺める度に想う。人生にはこんな劇的な約束もあるのだと。そして二人の約束に大きな力を貸してくれたのは…人を思いやる心と希望を持って生きる者をいつも見守ってくれている、約束の神様だったのだと私は信じたい。