第29回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2024年
第29回入賞作品

佳作

いつかそんな父のように 阿久津 京介(25歳 大工)

 僕の父は、曽祖父、祖父と三代続く大工の家系である。家ではひたすら無口で、事あるたびにタバコを吸いながらも、休みとなればまだ小さかった僕を色々なところへ連れて行ってくれた。多くを語る必要はないだろう。いわゆる、がんこ親父といったところだ。
 そして、そんな家系に生まれた僕の夢もまた大工になる事である。
 「しょうらいのゆめは?」と書かれた保育園の卒園アルバム。その頃から僕は大工になると書き留めていた。しかし今思い返せば、そう書けば周りからの「すごい!大工さんになるの?」「偉いね!」とちやほやされるのが嬉しかっただけだろうと思う。
 月日が流れ、小学校三年生になった時、父が自分で自分の家を建てた。大工なら一度は夢見るであろう「自分で自分の家を建てる」それを成し得る父の姿を見てようやく決意するのである。
 「僕も大工になって自分の家を建てる!」「父さんみたいな大工になる!」でもまだ小学生。僕にできる事はなにもなかった。
 中学生になり体つきも変わり、とある休日に「仕事手伝いに来るか?」と父は言った。中学生の休日、友達と遊びたい、ゲームしたい、やりたい事がたくさんあった僕は現場に行ってみたい気持ちと、自由な時間にしたい気持ちで葛藤していた。「お小遣いやるぞ」続けて父は言った。ずるい。そんな言葉に僕の葛藤は消え去り、現場見たさよりもお小遣い欲しさについて行くのであった。
 初めての現場、危険な機械、沢山の材料や道具・・・僕は仕事を手伝うどころか、色々な物に見て触れるだけで一日が終わった。
 そんな僕に父は何も言わずに黙々と自分の仕事をしていた。今思えば姿で語っていたのだろう。本当に根っからの職人だ。
 「将来の夢は?」と書かれた中学校の卒業アルバム。その頃には周りの反応ではなく、自分の意志で「大工」と書いた。
 そして、工業高校の建築科に進学した僕は三年間建築の基礎知識を学びつつ、資格を取得したりなど積極的にスキルアップに励んだ。もちろん高校生になってからも、休日に父の仕事の手伝いに行った。その時もお小遣い欲しさ半分だったけどね。
 三年生になり、いよいよ進路選択が迫ってきた。工業高校ということもあり、周りも就職する人がほとんどだった。
 そんなある日、母に「卒業したら父さんと仕事する」と言った。しかし、「ダメ。親子だと甘えが出るから一人前になるまでは外に出て勉強しなさい。」思いもよらない言葉だったが、なぜかその言葉に納得できた。
 「将来の夢は?」と書く欄が無かった高校の卒業アルバム。でももう迷いはない。
 地元の工務店に内定をいただくと同時に「父さんみたいな大工になる」と心に誓った。
 高校を卒業後、工務店に就職し、ようやく夢の大工の卵になる事ができた僕は、右と左くらい分かるだろうと高を括っていたのである。
 「おーい、あれ持ってこい」「これ、やっとけよ」そんな難しい内容じゃない事すら分からなかったのだ。悔しかった。僕には向いてないんじゃないか。才能が無いんじゃないか。何度思ったことか。
 でもそんな時に支えになったのは、無口でがんこな父だった。普段は無口な父も、仕事の話となれば別人のように喋る。失敗した事や、どうやったらいいのかを父に話すと、一時間でも二時間でも話をしてくれた。
 その度にまた前を向く事ができた。
 そんな僕も就職して、七年。仕事のほとんどを任されるようになり、来年には独立する。
最近一人暮らしも始めて、将来を考える大切な人もいる。職人としても人間としてもまだまだ未熟ではあるが、壁にぶつかるたびに、あの日誓ったことを思い出す。
 いつかそんな父のように。