第29回 約束(プロミス)エッセー大賞

過去の受賞作品

2024年
第29回入賞作品

10代の約束賞

感謝 山本 大地(17歳 高校生)

 母はよく僕にこう言っていた。
「身近な人や物への感謝を絶対に忘れては駄目だよ?後から後悔しても遅いからね?」
と。僕が小学校に入学する前から言われていた言葉だったので鮮明に覚えている。ただ、当時は幼なかったのもあって、その言葉を一般的な教育をする上での一つの教訓としか思っていなかった。今思えば、その言葉は、母と交わした大切な約束だったのかもしれない。
 母が乳がんだということは知っていた。しかし、当時のまだ幼なかった僕は、乳がんというものがどのような病気なのか、どれくらい重い病気なのか知らなかった。つまり、知っていたのは病名だけという訳だ。それでも母はいつも優しく笑顔だった。今思えば、実際はもの凄く苦しく、辛い中、病と闘っていたはずなのに、周りの人達を心配させまいと、弱気を感じさせない程、明るく、優しく振る舞っていた。それでも病状は重かったそうで、最後まで、弱気な姿も諦めない姿も見せなかった。そんな母と、僕は大切な約束を交わしたのだった。
 僕が小学二年生だったとある日のこと、その日の夜、僕は入院している母と電話をしていた。母はよく入退院を繰り返していた。家では主に介護ベッドにいたが、入院している時は二、三ヶ月病院にいることも多かったため、休みの時に病院に会いに行ける日や、退院日は非常に嬉しかった。電話しているこの日は、会う日の前日だったので余計に嬉しかった。すると、母はここでこう言ったのだ。「身近な人や物への感謝を絶対に忘れては駄目だよ?後から後悔しても遅いからね?」
と。またこの話か、と思いながらも、母は、「約束だよ。」と言うので乗ることにした。そこで寝る時間が近かったので通話を終えた。
 次の日、ようやく待ちに待った母と会える日ということで内心非常にはしゃいでいた。そんな気持ちで病室に入ると、母は寝ていた。呼んでも起きなかった。まぁ疲れてるのかな、と僕は思った。しかし、数時間経っても母は起きない。周りの家族達は何故か皆泣いている。お医者さん達も何故か悲しそうにしている。母を呼んでも返事がない。周りの家族達が辛そうに僕を慰めてくる。何が起きたのか当時の幼い僕には全く理解ができなかった。ただずっと寝ているとしか思ってなかったのだ。数日後、葬儀というものが行われた。ようやくここで気付き、実感した。母はもうこの世にいないこと、だから家族は涙を流し、慰めてくれていたのだ、と。そして、ここで母との約束を思い出す。僕は、一番身近な母に対して感謝できていただろうか。答えはNOだった。非常に後悔した。その途端涙が溢れてきた。母の言っていたことは一つも間違ってなんていなかった。なぜなら、今自分が後悔しているのだから。でも、もう遅い。一番感謝を伝えて、話したり、甘えたりしたいその人物は、もうこの世にいないのだから。前日の夜に、電話でも言えばよかった、と思うこともあった。でも僕がここで挫折するなんて母は望んでいないはずだ。強く生きてほしいからこそ、僕にこの名前をつけたのだろう。
 それからの僕は、普段から身近な人に些細なことでも感謝を伝えるようにしている。それをし始めてから、改めて、母と変わした約束の大切さに気付いたのだ。自分の大切な人がいついなくなってしまうか分からない。明日も今日と同じような日がやってくるとは限らない。全ては「当たり前」を大切に、ということを含めた母からの最後のメッセージだったんだな、と思っている。