第30回 約束(プロミス)エッセー大賞

受賞作品

2025年
第30回入賞作品

佳作

ピンクのボールペン 芝間 美福(17歳 高校生)

 「なんか、見えにくいよ…」小2の秋のことだった。学校に行きたくないだけでしょ、と母は言った。それも無理はない。つい先週まで運動会で元気に玉入れをしていたのだから。だけど、あのときの私は、世界がゆっくりと確実に暗くなっていくのを感じていた。
 私の様子が明らかにおかしいと気づいた母は、翌日すぐ病院へ連れて行った。そこで告げられたのは「神経の病気です。ここでは診られない。すぐに大きな病院へ。」視界は徐々に色を失い、音だけが鋭く響く世界で、私はただ怯えていた。翌朝、父の車に乗せられて高速道路を走った。見えない。分からない。感じるものすべてが私の小さな心には大きすぎて、怖くてたまらなかった。
 そこから長い入院生活が始まった。大好きなお菓子も食べられない。外にも出られない。検査をして、疲れて眠って、また次の日も検査。それなのに母はずっとそばにいてくれた。私の唯一の光だった。
 そして、視力が少し戻った頃、大部屋へ移った。そこで私は、同い年の少女と出会った。小児がんと戦っていた彼女は、初対面なのに病院の仕組みや好きなもの、そして優しい看護師さんランキング、なんてものまで楽しそうに教えてくれた。気づけば私たちは、毎日並んでご飯を食べて、くだらない話で笑って、消灯後にはこっそり手紙を交換して一緒に看護師さんに怒られるような。そんな、かけがえのない存在になっていた。院内学校に通うようになってからは、同じクラスで掛け算を教え合ったり、絵本を読んだりして過ごした。
 やがて彼女が一時退院し、そのあと私も退院した。再び彼女と同じ時期に病院へ戻ったのが、小5のとき。出会ってから早3年が経っていた。久々に会った彼女は、やせ細った身体に鎮痛剤の機械を身につけていた。でも、笑顔も声も、私の知っている彼女のままだった。久しぶりのはずなのに、そんな気がしなかった。私たちはまた、あの頃と同じ距離で話して、笑って、病院で過ごした日々の続きを生きているようだった。ずっとこの時間が続けばいいのにね。そういって彼女は微笑んだ。
 どれくらい一緒にいただろう。帰り際、彼女は思い出したかのようにリュックから袋を取り出した。家族で遊園地に行った時のお土産だと言って、ピンク色のクマがぶら下がったボールペンをくれた。色違いだね。そう言った彼女の手元に残ったのは、茶色のクマのものだった。ピンクが好きなのは、私より彼女の方だったはずなのに。「いつか、うちらも一緒に遊園地行こうね!」そう言って、私たちは指切りをした。そのあと、何度も振り返りながら手を振って、いつものように「またね」と言って別れた。
 その約束がもう叶わないこと、そして「また」はもう来ないことを知ったのは、中学1年の秋だった。
 彼女の訃報を聞いたとき、胸の奥にぽっかり穴が開いた。信じたくなかった。どこかでまだ笑っている気がした。病院の空気や消灯後の手紙、そして彼女の笑顔が目の前に一気に広がり、しばらく呆然としていた。なんで彼女だったんだろう。そんな問いまでもが、ずっと胸の中で渦を巻いていた。
 そんなある日、引き出しの中に入っていたピンクのボールペンを見つけた。小5のあの時、彼女が笑いながら渡してくれた、小さくてかわいい約束の印。手に取った瞬間、涙と一緒に胸の奥がじんわり温かくなった。
 そして、涙と一緒に気づいたことがある。彼女がくれた笑顔も、優しさも、勇気も、あの日々も、全部消えていないということ。だって、彼女は今も私の中で生きているから。彼女のように誰かに光を届けたい。彼女のようにみんなに笑顔を届けたい。そして、彼女のように病気に苦しむ子どもを救える医者になりたい。そう強く願うようになった。
 今日も、彼女からもらったピンクのボールペンを筆箱に入れて、私は前に進む。あの日交わした約束は、形を変えて今も私を支えてくれているから。