第30回 約束(プロミス)エッセー大賞

受賞作品

2025年
第30回入賞作品

佳作

見えない輪郭 秋山 優里(16歳 高校生)

 「光の画像」クロード・モネは晩年、白内障を患っていた。現在多くの人に愛されている「睡蓮」を描いていた頃だ。
 僕は目が悪い。メガネをしていないと一メートルしか離れていなくても人の顔が見えないほどだ。なかなかに不便なもので、乱視が強いとメガネをかけているとしだいに頭が痛くなってくる。なぜここまで悪くなってしまったのかと時々思う。けれどもメガネ歴が長くなってきた今、ほんの少しメリットもあるように思えてくる。
 美術部に入っていた中学時代。絵を描くのにおいて目がいいことにこしたことはない。僕は細かくものの輪郭を追うことができず、ものの形を正確に捉えて描くことが苦手だった。「もっとよく見えればなあ。」当時の僕はこればかりを思っていた。
 転機が訪れたのは中二の終わり頃。珍しくポスターコンクール以外の課題を出された。「名画の模写」というものだった。そんな難しいものを、と思った。僕は悩みに悩んでモネの「睡蓮」を選んだ。地元鹿児島の市立美術館にあって、実物を見ていたからだ。見たことがあったとはいえ巨匠の絵画の模写は当然難しかった。僕は下書きの段階から苦しんでいた。モネの絵はただでさえ普段から見えない輪郭が、もとからはっきりしていなかったからだ。僕は他の部員が次々と着彩に入っているのを見て下書きを諦め、筆を手にとった。僕の目の持つ良さに気づいたのはそこからだった。
 印象派とは簡単に言えば、そのモチーフや風景を印象で捉えて描く十九世紀後半に生まれた絵画における派閥のようなものだ。印象派の画家は輪郭をぼかし、絵の具の色をパレットで混ぜずにカンバスにのせる。その結果僕の見た曖昧な色の境界線ができていた。それを知ってからの僕はよく筆が進んだ。輪郭をぼかす手法は輪郭の見えない僕には僥倖だった。それだけで「描ける!」と自信がついて僕はいきなり水面の青から画面においていった。モネのように、印象派の画家のように、画面の上で色を作っていった。かすかな水面の揺れ、そこに浮かぶ大小の葉、光るように咲く二つの花。だんだんと本来の儚く深い睡蓮ができていった。
 冒頭にもあるとおり、睡蓮を描いていた頃のモネは、目が見えていなかった。それでも「睡蓮」を描いている。そこにはモネの愛する睡蓮と芸術への情熱があると感じた。僕の憧憬も確かにあった。
 「睡蓮」を描いてから、僕は「大胆に描く」を心がけてきた。下書きに納得がいかなくても色をのせる。画面の上で色を作っていた。そうすることで僕の見えない輪郭線も気にならなくなっていった。美術に限らず中学校の合唱の伴奏も、高校で入った軽音部のステージも。いつでも恐れず、「大胆に」。ぼやっとしているものの色を見つめているうちにいろいろな色も見えてくる。これは輪郭の曖昧な毎日を少しだけカラフルにしてくれたモネとの「大胆な」約束だと思っている。