第30回 約束(プロミス)エッセー大賞

受賞作品

2025年
第30回入賞作品

佳作

魔法の言葉、「またね」に隠された約束 小松原 義仁郎(15歳 高校生)

 学校の放課後、校門の前や駅の改札で、私たちは当たり前のように「またね」という言葉を口にする。相手が親友であっても、それほど親しくないクラスメイトであっても、別れ際挨拶は決まてこの言葉だ。しかし、よく考えてみると、この「またね」という言葉ほど不思議で、曖昧な約束はないのではないだろうか。
 英語で言えば“see you again”だが、そこには具体的な日時も場所も指定されていない。次に会うのが明日なのか、一年後なのか、あるいはもう二度と会わないのか。「またね」という言葉自体には、それらを確定される力はない。それでも私たちは、この言葉を交わすことで、無意識のうちに一つの「約束」を成立させているような気がする。
 私がこの言葉の不思議さに気づいたのは、去年の春、幼馴染が遠くの街へ引っ越した時のことだ。トラックに荷物を積み込み、いよいよ出発するという時、彼は車の窓から手を振って「またね!」と叫んだ。その時、私は胸の奥が少しチクッとした。なぜなら、その「またね」がいつ実現するのか、お互いに全くわからなかったからだ。中学生にとって、県をまたぐような遠距離は、そう簡単に会える距離ではない。下手をすれば、もう一生会えないからかもしれない。それなのに、彼は「さようなら」ではなく「またね」と言った。
 その時、私は「またね」という言葉が持つ、ある種の「願い」のような側面に気づいた。それは「次も会える」という確信があるから使うのではなく、「次も会いたい」という強い希望を込めて、お互いの未来を撃ぎ止めようとする呪文のようなものだ。もしあの時、彼が「さようなら」と言っていたら、私たちの関係はそこでプツリと切れてしまっただろう。「またね」と言い合うことで、私たちは「私たちはまだ終わっていない」という、目に見えない契約を結んだのだ。
 一方で日常の中での「またね」は、もっと軽やかで、だからこそ少し残酷な面を持っている。例えば、あまり話したことのないクラスメイトと、偶然帰り道が一緒になった時。沈黙が気まずくて、別れ際に「じゃあ、またね」と言ってしまう。この場面の「またね」は、明日学校で会うことが前提の事務的な挨拶に過ぎない。あるいは、卒業式のような場面で、もう二度と会わないかもしれない相手に「またね」と言うこともある。それは、別れの寂しさを粉らわせるための優しい嘘のようなものかもしれない。
 「またね」が、明日の朝の再会を指すのか、それとも数十年後の同窓会を指すのかはわからない。それでも、私は心を込めて言いたいと思う。「またね」という言葉を使う時、私たちは未来に対して少しだけ強気になれる。明日が来ることを、再開できることを、そして自分たちの絆が続いていることを疑わずにいられる。