2025年
第30回入賞作品
佳作
苦いけれど、温かい 河上 稜平(16歳 高校生)
日曜日の朝、いつものようにキッチンからコーヒーの香りが漂ってくる。目を覚ますと、父が2つのマグカップを持ってリビングに向かうところだった。
「起きたか。丁度だな。」
父はテーブルにカップを置く。僕は寝癖のついた髪を整えながら、父の前に座った。これが、僕と父の日曜日の朝だ。始まったのは、中学一年生の春。あれからもう三年半が経つ。
中学に入学したばかりの頃、僕は毎日が憂鬱だった。小学校の友達とはクラスが離れ、勉強も難しくなった。家に帰っても部屋に閉じこもっていた。
ある日曜日の朝、父が僕の部屋のドアをノックした。
「少しコーヒーでも飲まないか?」
僕は部屋から出て、リビングまでついて行くと、テーブルには二つのマグカップ。両方ともブラックだった。
「ブラックコーヒーなんて、飲んだことないんだけど」
恐る恐る口をつけると、まあ苦かった。顔をしかめる僕を見て、父は笑った。
「最初はみんなそうだ。でも、慣れると美味いんだぞ」
それから父は、ぽつりぽつりと話し始めた。仕事のこと、昔の失敗談、母さんとの出会い。僕も少しずつ、学校での出来事を話すようになった。友達が少ないこと、授業についていけないこと。父は静かに聞いていた。説教もアドバイスもしない。ただ、「そうか」「大変だな」と相槌を打つだけ。でも、それが不思議と心地よかった。
「毎週日曜日、一緒にコーヒーを飲もう」
父はそう言った。僕は頷いた。
中学二年生になると、少しずつ学校に慣れていった。友達も増えた。それでも、日曜日の朝のコーヒーの時間は続いた。
ある日、僕は友達と喧嘩をした。些細なことだったけれど、意地を張って謝れなかった。一週間、気まずい空気が続いた。
日曜日の朝、いつものようにコーヒーを飲みながら、僕はそのことを父に話した。
「お前、悪いと思っているのか?」
父はコーヒーを一口を飲んで言った。
「約束はな、口に出したことだけじゃない。友達でいるのも、一つの約束だ。それを守りたいなら、意地なんて捨てろ」
翌日、僕は友達に謝った。「俺もごめん」と友達も謝ってくれた。あの時、父の言葉がなければ、僕はずっと意地を張り続けていただろう。
中学三年生、受験勉強で忙しくなった。土曜日も塾があり、日曜日も模試や自習で飲むことが減った。
「今日は勉強があるから、コーヒーはいい」
そう言った時、父は少し寂しそうな顔をした。その表情を見て、僕は思い直した。
「やっぱり飲むよ。三十分くらいなら大丈夫だから」
父は嬉しそうに笑った。あの笑顔を見て、僕はこの約束の重さを初めて理解した。これは、僕のためだけの時間じゃない。父と僕、二人の時間なのだ。
今朝も、僕たちはコーヒーを飲む。最初は苦いと感じたブラックも、今では香りを楽しめる。
高校生活は、まだ慣れないこともある。でも大丈夫だ。日曜日の朝には、この時間がある。父との小さな約束が、僕を支えてくれる。
約束とは、人と人とをつなぐ糸なのだと思う。細くて、目には見えない、でもとても強い。その糸を大切にすることが、人生を豊かにするのだと、僕はこの三年半で学んだ。
父がカップを置いて、窓の外を見る。
「いい天気だな」
「うん」
僕は最後の一口を飲み干す。少し苦いけれど、とても温かい。この温もりを、これからもずっと大切にしていきたい。
